悲劇の誕生 (中公クラシックス)本ダウンロード無料pdf
悲劇の誕生 (中公クラシックス)
によって ニーチェ
悲劇の誕生 (中公クラシックス)本ダウンロード無料pdf - 悲劇の誕生 (中公クラシックス)は必要な元帳です。 この美しい本はニーチェによって作成されました。 実際、この本には260 ページページあります。 悲劇の誕生 (中公クラシックス)は、中央公論新社 (2004/1/10)の作成によりリリースされました。 悲劇の誕生 (中公クラシックス)の簡単なステップでオンラインで表示できます。 ただし、ラップトップ用に保管したい場合は、ここで保存できます。
ギリシア悲劇の起源を問題にする体裁をとりながら、ニーチェの内部に渦巻いていたあらゆる主題が未分離のまま投げ込まれ、強い衝迫力をもってせまってくる。今日なお「問題の書」。
悲劇の誕生 (中公クラシックス)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
「アポロ的」な理性による世界把握/記述の外部に広がる、「もの自体」(byカント)の世界。この「外部」のカオスを認識し一体化を欲求することを、いま「ディオニソス的」な情動として置いてみよう。ニーチェにとって生とはこの二つの背反する力の相克だったわけだが、ギリシア悲劇の起源がセリフや演技ではなくコーラス音楽だったことに着目し、ディオニソス的なものをアポロ的日常に召喚するものだったギリシア悲劇が如何にアポロ的演劇に変化していったかという分析が、ひとまずは本書の骨格となっている。だが、ギリシャ古典悲劇から随分時代が経ったお友達のワーグナーをディオニソスとアポロの二つの世界の相克が込められた「悲劇」を再現した才能として賛美する話がかなり強引にくっついているため、論理の進め方が飛躍的で学術的ではない、という評価が出版当時吹き荒れ、結局この本の出版はニーチェの文献学者生命を絶つきっかけの一つになった。そういう意味では確かにラフな書き方の本なのだが、ニーチェの本の論理展開はいつもこうなので(笑)、僕は彼の記述スタイル自体は余り問題だと思っていない。寧ろ僕は話の中身の方で気になっている点が一つある。かつて福田恆存はマクベス論(「人間/この劇的なるもの」)で、オチの分かってる悲劇に人が惹かれる理由は人間が演劇的存在だからだと論じたが、ニーチェも初期ギリシャ悲劇は筋の展開を最初に登場人物が語ってしまうことを挙げ、筋や演技以外のものを観客達は鑑賞していたはずだと指摘する。彼の分析ではディオニソス的なものを見ていたのだということになるのだが、じゃあなぜディオニソス的なものに人が惹かれるのかという動機の話になると、案外話が薄かったりする。それはアポロとディオニソスの間を永遠に運動することがニーチェの語る生の根拠/動機であり、人がディオニソスに惹かれるのは論じるまでもない生の情動だからだ。僕はこういう熱いニーチェを読むと確かに元気が出るので好きなのだが、でも、マクベスやギリシア悲劇に限らず勧善懲悪時代劇や歌舞伎の心中ものみたいな例も含めて、人がなんで「オチが分かってる話」に夢中になるのか、という動機の話はもっと広がりのあるテーマなような気がするんだよね。今回は特に悲劇論として本書を手にとったので、そこが星を一つ削った理由です。
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